今日のブログは『曽呂利の水なす(4)/泉州水なす美人』です。

曽呂利の水なすについては、先日より以下のブログ
等を作成してアップしてきました。 
あわせてご覧いただければ幸いです。


また、曽呂利新左衛門(そろり しんざえもん)は

<茶道を武野紹鴎に学び、香道や和歌にも

通じていたという(『茶人系全集』)。


『時慶卿記』に曽呂利が豊臣秀次の茶会に

出席した記述がみられるなど、

『雨窓閑話』『半日閑話』ほか

江戸時代の書物に曽呂利の記録がある。


曽呂利の本名は杉森彦右衛門で、

坂内宗拾と名乗ったともいう。


大阪府堺市堺区市之町東には

新左衛門の屋敷跡の碑が建てられており

堺市内の長栄山妙法寺には墓がある。

没年は慶長2年(1597年)、慶長8年(1603年)、

寛永19年(1642年)など諸説ある。>

と記されています。
 
曽呂利の水なす(4)/泉州水なす美人塾画像
そして、機転が効いて頭が良かったのだな

というエピソードに、

曽呂利新左衛門 - Wikipedia」の「逸話」を読むと、


<秀吉が、猿に顔が似ている事を嘆くと、

「猿の方が殿下を慕って似せたのです」

と言って笑わせた。


秀吉から褒美を下される際、何を

希望するか尋ねられた新左衛門は、

今日は米1粒、翌日には倍の2粒、

その翌日には更に倍の4粒と、

日ごとに倍の量の米を100日間もらう事を

希望した。米粒なら大した事はないと

思った秀吉は簡単に承諾したが、

日ごとに倍ずつ増やして行くと

100日後には膨大な量になる事に

途中で気づき、他の褒美に変えてもらった。>


又<ある時、秀吉が望みのものをやろう

というと、口を秀吉の耳に寄せた。

諸侯は陰口をきかれたかと心落ち着かず、

新左衛門に山のような贈物を届けた

という。>と書かれています。


人の心を読み切って行ないを起こす、

腹の座った人物でもあったようです。・・・つづく